ベトナムフエと日本との意外な結びつき ファンボイチャウ記念館 119 Phan Boi Chau
ベトナム独立の父“ホーチミン”は広く知られているがもうひとりの民族運動の指導者と言われているファンボイチャウ(1867年ゲアン省出身)の名前はあまり知られていない。ホーチミンがフランスから革命運動を起こしたのに反してそれ以前のファンボイチャウは日本滞在後中国から革命運動を起こした英雄。フランス軍に捕えられ(1925年)終身刑となったが減刑されて軟禁中にフエで亡くなった。(1940年、75歳)彼の墓の周囲にあるたくさんの小さなお墓、石碑は失意の彼が可愛がった犬の墓でフエにはその日本ベトナム双方の記念碑がある。ファンボイチャウは今から100年以上も前に来日し当初は日本政府に武器調達等の要請であったが犬養、大隈の提案によりベトナム独立運動を目覚めさせるために多くの若いベトナム学生を日本に留学させる(東遊運動、1905年~09年延べ100人以上)ように指示され運動が始まった。フランスの圧力で4年間で頓挫し逃げ場を失った留学生を日本であらゆる面で援助したのが静岡県袋井市の浅羽左喜太郎氏で現在でも浅羽ベトナム会という組織が袋井市にあり日本とベトナムの交流がある。ファンボイチャウは浅羽氏が亡くなった(1910年)ということを聞いて袋井市常林寺に記念碑を建てた。その後、フエ市と静岡県、袋井市とは友好関係が続いている。参考文献 日本をめざしたベトナムの英雄と皇子(白石昌也著、彩流社)
2010年11月袋井市の代表団が訪越しファンボイチャウ像の隣に記念碑を贈呈しました。なをファンボイチャウの像は2012年3月25日ファンボイチャウ記念館からフエ市の中心チャンテイエン橋の公園に移転、4月5日その除幕式が開催されました。2012年4月15日袋井副市長をはじめ経済界、国際交流会、袋井市文化団体総勢65名がフエに来訪各種イベントを行いました。袋井市には昔から二宮金次郎に見える報徳思想があり報恩(恩に報いる)のエピソードが海外との交流では多い。
鳥居信平氏(袋井出身)台湾では八田興一氏とともに鳥居地下ダムを作り台湾農業発展に貢献。
ファンボイチャウが恩人浅羽佐喜太郎氏の碑を袋井市に建立する時不足費用は袋井市民が寄付。
ファン・ボイアチャウとホーチミンとの不思議な出会い(中国広州)
潘は60歳、孫文の中華民国建国に刺激を受け広東を根拠地に維新会を解散し越南光復会を作り、独立活動を続けていたが、広東に通訳として同行してきたホーチミンは34歳。これが初対面ではなく、ホーの父と潘は同じ郷土、ゲアン県の出身の親友だったといわれており、潘が日本に遊学(東遊運動)に出かける際、15歳だったホーを日本に誘っている。ベトナム共産党は当初、ファンボイチャウを独立の父、革命指導者として認めていなかった。(共産党員ではない。日本に援助を求めていた。王位継続を前提とした改革)ドイモイ政策の進展によって革命家の範囲が広がり評価されることになった。ファンボイチャと同時期に革命家であったファン・チュ・チン(クアンナム出身)はフランスと真向から対立するのではなく近代化をすすめるという考え方は当初評価されなかったが共産主義低迷にともない評価もあがってきたと言われる。