チャンパの歴史

ニャチャン ポー・ナガル塔  ミーソン遺跡      フエチャンパ遺跡      ファンテイエットポーシャヌー塔

バンアン遺跡       チェンダン遺跡      クイニョン遺跡                  ホアライ遺跡

チャンパ王国の歴史(192年~1832年)

チャンパ王国 チャム人とはベトナム少数民族のひとつで現在では南方地区に居住 ヒンズー教を信じシヴァ神を祭る。レンガ遺跡に見られるように建築にすぐれ海上交易を中心とした商業活動で財をなした王国。中世日本との交易も活発であった。

2世紀(137年)中部ベトナムにチャンパ王国、林邑(ラムアップ)国建設

4世紀パドラヴァルマン(インド風王の名前でサンクスクリット語の石碑が発見)

中部ベトナムミーソンにヒンズー教の寺院を建立、シヴァ神を祭る。

605年中国隋王朝チャンパ王国攻撃開始 チャンパ王国の隋、唐王朝への朝貢外交開始(北ベトナムへの牽制)

854年インドラヴァルマン2世が即位、新しい国を建設、海上交易に進出

945年  クメール王国と交戦

982年 中国の混乱に乗じて独立した北部ベトナムが、チャンパの都に攻め込み、パラメッ  

シュバルマンュ王が殺された。混乱が続いた後、南部ヴィジャヤが新都。 

1069年李王朝に3つの州(クアンビン省、クアンチ省)を奪われる。

1075年ハリヴァルマン4世李王朝を打ち破る。

1133年スールヤバルマン2世(アンコール)国内統一、チャンパを攻撃

1177年チャンパ水軍、アンコールの都占領4年間チャンパ軍が支配

1181年アンコール、ジャワヴァルマン7世チャンパ軍追放

1203年ジャワヴァルマン7世チャンパの都ビジャヤ攻撃 (7世死後クメールの衰退)

1278年インドラヴァルマン6世北の陳王朝と同盟、蒙古軍フビライと抗戦ゲリラ戦。

1284年5代フビライ撤退 元との朝貢を継続し東南アジアの海上交易の利権を確保

1390年陳王朝の総攻撃でチャンパ軍敗退

1471年陳王朝のあと明軍を追い出したレー(黎)王朝が南進、チャンパの都ビジャヤを占領

17世紀北(チン氏)と対立するグエン氏が南進、チャンパはグエン氏の支配下となる。 大航海時代の終焉とともにチャンパの勢力も衰えた。

 

マルコポーロの東方見聞録にも1278年元ジンギスハーンと戦ったチャム王国の記述がある。

 

 

 

 

チャンパ王国の遺跡(連合国家)

フエ

ダナン

ホイアン     ミーソン遺跡

バンアン遺跡  八角塔(クアンナム省)

チェンダン遺跡  クアンアム省

ヴィジャヤ    クイニョン(ビンラム塔、テイナイ城跡)ヴィジャヤ王国(11~15世紀)

(ベトジェットエアー ホーチミンーチューライ新路線就航 2015年5月27日)

ニャチャン    ポーナガル塔(南部王国カウターラ)

ホアライ      ニントウン

ファンラン         

ポークロンガライ(最寄り駅はタプチャム駅。半砂漠地帯でサボテンが点在レンガ造りの建物が三棟。14世紀に建立、破壊と修復を繰り返す。ムカリガが信仰の対

ファンテイエット ポーシャヌー塔

フエの海水浴場フーイン村はわらぶきの小屋がある以外は何の施設もない海のみの村だ。この海水浴場にはチャンパ王国の塔が残っており現在はガラスの窓で囲まれている。

王宮太和殿
王宮太和殿
フォンニャ洞窟
フォンニャ洞窟
ホイアン日本橋
ホイアン日本橋
ミーソン遺跡
ミーソン遺跡