ソンミ村を訪ねる。(1968年3月16日の悲劇)

ソンミ村はベトナム戦争時代ベトコン(南ベトナム解放戦線)か村人か区別つかなくなったアメリカ軍(カーリー中尉)が犯行に及んだ悲劇で504名の村人が犠牲になったと言われている。南北ベトナムの中間にあるクアンガイ省クアンガイ市から車で20分のテインケ村(村名が変更)にソンミ展示村として一般公開されている。入口で入場料1万ドン(2011年7月現在)を支払い入村。きれいに整備された村を進むと展示館、記念碑が目立つ。悲劇的な家族、村が再現される。2009年8月日本から植樹と記念碑が建てられている。年間の訪問者の4割はアメリカ人となっている。

 (ベトジェットエアー ホーチミンーチューライ新路線就航 2015年5月27日)

アクセス フエからは国道1号線を南下、休憩を入れてダナン、クアンナム省、クアンガイ省まで5時間の行程。宿泊はクアンガイ市。(チューライ空港40km)

    Central Hotel, 784  Quang Trung-Quang Ngai Tel84-553 829999

          www.centralhotel.com.vn  central@dng.vnn.vn

 

      ホイアンからは3時間の行程。長距離バスもクアンガイ市には停車する。 

ベトナム戦争に関してのコメント

ベトナム戦争は「ベトナム対アメリカ」の戦いというよりは「ベトナム人対アメリカ国家」の戦い。

アリと象の戦争でアリが勝利した。インドシナ半島にあり様々な強国に狙われ戦い続けた歴史

ソンミ村のアメリカ軍による虐殺以上に残酷な事件は韓国海兵隊によるジゲン・タオ村の虐殺(ダナン)

(米国の経済援助の見返りとして参戦した韓国軍は同じアジア人同志で血を流した。) 

中国、フランス、アメリカと戦いながらもベトナムにはその面影がそのまま残る不思議な国

ベトナム側将兵110万人戦死60万人が負傷、民間人200万人死亡、200万人負傷

アメリカ側650万人の兵士動員 58200人戦死 30万人が負傷

旧南ベトナム政府軍 22万人戦死 50万人が負傷 韓国及び外人部隊5200人戦死

アメリカは日本を後方基地として使用、日本は実質的にベトナム戦争に参加した。

(横須賀に第七艦隊、B52爆撃機は沖縄から出撃、米兵のピストン輸送に横田基地使用) 

ハノイ北爆で最大規模の空襲はクリスマスを挟んだ12日間1000機の爆撃機、8万トンの爆弾砲火 

(ロンビエン橋だけは北ベトナム軍が命を賭けて守ったといわれる。)

 

 

 

王宮太和殿
王宮太和殿
フォンニャ洞窟
フォンニャ洞窟
ホイアン日本橋
ホイアン日本橋
ミーソン遺跡
ミーソン遺跡