ベトナムあれこれ

1ドイモイ政策

 ドイモイとは”刷新”という意味で1986年12月の共産党大会で国家運営の目標として決議された。

 ヴェトナム戦争、カンボジア侵攻、中国との衝突を経てホーチミン死後、戦争から平和、経済の転換

 が必要とされ市場経済、私営企業、競争原理を社会主義体制下では国民に説きながら意識改革の 

 必要性をベトナム共産党は国民に訴えた。

 

2首都ハノイの語源は

 1010年李太祖が都をタンロン(昇竜)と名付け首都を置いた(現在のハノイ)。その後、グエン王朝

 2代目ミンマン帝の時代11931年にタンロンという呼称を禁止し紅河とズオン河の合流点にあり2つ

 の河に挟まれているということで河内(ハノイ)と命名された。

 

3ベトナムの村(例フエ郊外のフクテイック村)

 ベトナムの村に入る道路には大木戸があり夜になると長い竹竿のバーが下りる。中心部にはガジュ

 マルの木があり共同井戸がある。村の規模によっては廟(血縁で結ばれた一族の先祖を祠う)、祠堂

 (一族の先祖、直径家族の廟)があり墓は小高い丘におかれ生活の基盤である市場は村の外側。

 

4ベトナムの少数民族

 社会主義国にとって少数民族の存在は中国を見ても複雑だ。表面にはニュースとなっていないが地

 方では少数民族の暴動が多発する。ベトナムには約54の民族が暮らしているといわれる。その殆ど

 はキン族(ベト族)で大都市に定住し多くの少数民族は山岳、高地に定住する。タイ族、ヌン族、モン 

 族、ザオ族が大部分を占める。中部高原に行くとエデ族、ムノン族、ラオ族、ザライ族がやはり山岳

 地帯に定住している。 

 

5中部ベトナムフエの語源(中国語では順化)

 14世紀のはじめ清の支配下にあったチャン・アイン・トン(陳英宗:4代)は中部ベトナムを支配してい  

 たチャム族の王(チェンマン)に自分の娘(フェンチャン)を嫁がせ中部のウ(鳥)リ(里)の2州を得

   た。途中で富春と名付けた時代もあるが後年その2州を順州、化州と改め、さらに順化(トウアンホア)と改

 めたと言われている。ちなみに昔の日本の小説では”ユエ”と表示されることが多い。

  

6ブンとフォー(麺)

 両方とも米粉で作られる麺。ブンは一度発酵させるので酸味があるがフォーにはない。麺の形もブン

 が平ら、フォーは丸くスープの出汁も異なりブンは濃い目のスープでフォーは透明感のあるスープを

 使う。ブンはハノイ北方で食べられる麺で炭火で焼く豚肉や豚肉のつくねの入った甘目のスープに

 香草を好みで入れ麺をつけて食べる。

 米麺の粘り強さはお米を液状にした物にタピオカの固まりを入れて米麺のもとを作るためです。

 

7キムソン村襲撃事件(ハノイ郊外)

194584日日本終戦の間際日本軍の一団がこの村を襲撃した。キムソン村にはその歴史を物語る歴史博物館がある。日本降伏のニュースは東南アジアで戦う日本軍に末端まで浸透していたかは疑問であるが村にはすでに日本、フランス2重支配に抵抗するベトミン組織ができており日本軍は親日派のベトナム人(大越)との自衛団を組織しベトミンとの対立を各地で深めた。(吉沢 南著による)折からの食料危機で北ベトナムでは200万人にも上る多くの餓死者を出しキムソン村でも日本軍に抗戦する集会が開かれ日本の立場を懸念する日本軍がベトナム人のホアン兵を使って村を襲撃した。200万人餓死者が出たという表現はホーチミンの発言であるが人数の問題ではなく歴史事実は諸条件(自然災害、交通、列車輸送、農産物から軍備、麻の栽培へ等)はあったものの否定できない。

 

 

 

8 ベトナムの領土問題

南シナ海には、ベトナムが中国や他の東南アジア諸国と領有権をめぐって争っているパラセル諸島やスプラトリー諸島がある。パラセル諸島はベトナム名を「ホアンサ諸島」、中国名を「西沙諸島」という。スプラトリー諸島はベトナム名で「チュオンサ諸島」、中国名で「南沙諸島」とよばれる。パラセル諸島はベトナム・中国・台湾の3ヶ国が領有を主張しており、スプラトリー諸島はベトナム・中国・フィリピン・台湾・マレーシア・ブルネイの6ヶ国が領有を争っている。最近、中国政府が発行した旅券には中国が自国の領土と主張する国が記載され入国の際に問題が起きている。http://www.youtube.com/watch?v=2d8Ab2mEbXg

9ベトナムの民族信仰(フンヴォン伝説)ユネスコ無形文化財登録申請へ

ベトナムの大都市には必ずフンヴォン通りがある。ベトナム建国の祖とされている雄王(フンヴォン王)の地とされる北部フートー省には毎年旧暦3月になると海外のベトナム人や南部ベトナム人がこの地を巡礼しお線香を持ち帰る習慣がある。この信仰は世界の宗教、信仰とは異なりベトナム人の心の中でフン王は重要な位置を占めている。この習慣はベトナム民族を団結させる中心的な役割を持ち中国の支配期、封建社会の垣根、宗教的な違いも乗り越えて継承されてきた。

フンヴォン記念日 Hung Vuong Day
紀元前にベトナム北部からら中部までを初めて統一したとされるフンヴオン王を旧暦の3月10日に祭る日です。2007年3月28日に政府によって正式に祭日とされています。旧暦のため毎年変わります。

王宮太和殿
王宮太和殿
フォンニャ洞窟
フォンニャ洞窟
ホイアン日本橋
ホイアン日本橋
ミーソン遺跡
ミーソン遺跡