誰も訪れない帝廟

初代嘉隆帝( ザーロン / Gia Long帝)

フォーン川を狭い道に沿って25~6分。最初のザーロン帝の標識Ben Doボートが見える。この渡し場からは遠くになるため2番目の渡しボート乗り場に向かう。木船のボートに乗車(片道1$)5分程で対岸に到着。セオム(バイクタクシー往復5万ドン)で約3kmの道を丘の方へ向かう。ミンマン帝の母親のお墓を右に見ながら初代皇帝の嘉隆帝陵(1814~1820造営)に到着。全体は287ヘクタールで、他の帝廟の5倍という大きさ。陵は3つに分かれ。帝の業績を記す石碑、位牌が飾られる祭壇、最後は遺体が収められているお墓。嘉隆陵は、かつての都と併せて世界遺産に登録されている。1993年の明成殿の修復に始まったがアクセスの悪さもあり訪れる観光客は少ない。(2013年6月現在帝廟の入口まで橋がかかり通行料3000ドンを支払う、車通行不可)

3代紹治帝(ティエウチThiệu Trị帝)

ティエウティ帝廟はフォーン川沿いから少し入ったところの田園地帯にありホンチェン殿のボート渡し場に最も近い。王墓にあるツインの塔が見える。修復も進んでおらず破壊されたままの姿ではあるがむしろそのままの姿が残り帝廟としては興味深い。帝廟内の散策は自由。第3代紹治帝は治世7年目、陵の造営に着手する前に崩じ、息子の嗣徳によって1848年に造られた。

 

5代育徳帝(ズクドゥクDục Đức帝)

フエ市内から最も近い帝廟でDuytan通りに面している。4代皇帝嗣徳帝(トゥドゥック)には子がなく、3人の甥を養子にしていたが、育徳帝はその中で最年長。育徳帝は即位後3日で権臣により廃立処刑。 他の陵がほぼ香江に沿って配置されているのに対して育徳帝陵は王宮の正面から2km 、御屏山の前に建つ。二重の周壁に囲まれた育徳帝と皇后のふたつの石棺と、少し離れ て隆恩殿を中心とした廟からなる育徳帝陵はきわめて質素なもので彼の陵はその6年後仏支配下に皇位に就いた息子の成泰帝(タインタイ)によって1890年に造営された。成泰帝は1954年、維新帝(ズイタン、航空事故で死亡)は1987年に祖父の廟の背後、埋葬された。現在隆恩殿には祖父、父、子の三人の皇帝が奉られ、成泰、維新の墓の両脇には彼等の家族の墓が並んでいる。付近は皇族の住居が多く。ザーロンの孫のクオンデのお孫さんも近くに住んでいる。 

9代同慶帝(ドンカインÐồng Khánh帝)

ドンカイン帝廟はトゥドゥック帝廟から歩いて5分程度行った突き当たりにあり正面から修復未完状態で入場はできない。松林を抜けると王墓、王妃墓が点在している。王墓や王妃墓は自由に見学できます。同慶帝は在位3年にして25歳の若さで崩じる。彼の陵は次の成泰帝(タインタイ)によって1889年に造営され、後に息子の啓定帝(カイデイン)により何度かの改修増築が行なわれた。王妃の墓が2ヶ所あり1ヶ所はトゥドゥック帝廟から来た道の突き当たりの左手、もう1ヶ所は少し離れた所にあります。

王宮太和殿
王宮太和殿
フォンニャ洞窟
フォンニャ洞窟
ホイアン日本橋
ホイアン日本橋
ミーソン遺跡
ミーソン遺跡