ベトナム・アメリカ戦争について

ベトナム戦争では、22万4,000人の南ベトナム軍兵士、110万人の北ベトナム軍兵士、200万人のベトナム市民が死亡したと言われている。米軍の戦死者数は5万8,245人で、現在も『戦闘中行方不明(MIA)1800人以上』と報告されている。ラオスとの国境ハンバーガーヒルの激戦が1965年5月、ソンミ村虐殺事件が1968年そしてテト攻勢へと進みベトナムが解放されたのは1975年だ。

 

ベトナムに来てベトナム戦争の真相を語る人はいない。アメリカ及びサイゴンの情報だけが学生時代聞かされた内容だ。ベトナム戦争激化のきっかけとなったトンキン湾事件---停泊中の米軍艦が北ベトナム軍により攻撃されたという騒動---が米国側による捏造であったという疑惑は、昨年機密解除された公式文書により正式に確認されている。1963年11月、ケネディは暗殺された。ケネディの後任となったジョンソン大統領は、出身地テキサスの軍需企業から選挙資金を得ていたと言われる。最近ではチェイニー元副大統領がCEOを務めたハリバートン社の子会社として、米政府のイラク戦争兵站業務を大量受注している。

MIA(Missing in Action)とは戦争捕虜・行方不明者のことでベトナム戦争当時に行方不明になった兵士、飛行機、遺骨、遺品等当時の兵士の気持ちを忘れないで連れて帰ってくる希望を持ち続けることを意味しているらしい。毎年アメリカから軍を中心として捜索隊が派遣される。これ以外にも在郷軍人会が主催した家族会のツアーも多く最低3週間から1ケ月間フエを中心にベトナムに滞在する。それだけこの地が激戦地であったということだろう。
 
オレンジ剤(枯葉剤)散布

ベトナム戦争の際にベトナム中南部を中心に散布された枯葉剤の影響は未だに続いている。
枯葉剤(かれはざい)は除草剤の一種で、うちベトナム戦争で散布されたものはダイオキシン類の一種を高い濃度で含んでいる。農薬はAgentと名付けベトナムで多く散布されたのはオレンジ剤(Agent Orange)と呼ばれている。枯葉剤の散布(ランチハンド作戦)は、名目上はマラリアを媒介する蚊や蛭を退治するためとされたが、実際はベトコンの隠れ場となる森林の枯死、およびゲリラ支配地域の農業基盤である耕作地域の破壊が目的であったといわれる。 散布から24時間以内に木々の葉は変色を始める。そして1ヶ月すこしで落葉する。つぎつぎに生まれる新芽を殺すため、除草剤は繰り返し撒かれる必要がありこうして、通常の10倍もの濃度を持つ除草剤は、密林のあらゆる植物を殺して行った。しかし実際には近辺に居住する村人までも巻き込んで散布されたのが現状だ。人体に対する影響に関しては計り知れない。

 

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