テイエンムー寺(天老寺)
フエ旧市街王宮からフォーン川に沿って5kmハーヘーの丘にあるお寺。昔、老婆がグエン王朝誕生を予言し王朝誕生後3代皇帝テイエウテイによって1844年建てられました。蓮の形をした八角形21mの宝塔がありフランス軍が来る前は金の仏像がありましたが現在はブロンズ像です。グエン王朝成立後は霊姥寺と名前を変えました。このお寺には1963年クリスチャンである南ベトナム大統領のゴンジンジェムの仏教弾圧に抗議し車に火をつけて焼身自殺した僧クアン・ドウック師が葬られその時オースチン車も展示されています。ベトナム人の間ではここを訪れた若いカップルは必ず別れるという話があります。
カイデイン帝廟 ミンマン帝廟から10分、トウドウック帝廟から15分(西洋風コンクリート)
フエ市内から10km。グエン王朝12代最後の皇帝の遺体が安置されています。1920年ー31年、11年の月日をかけてチャウエー山の上に建造され新しい物が好きなカイデイン帝は一見ヨーロッパ風別荘のような建物に仕立てました。生前から建築が始まりグエン王朝崩壊後パリの亡命した13代皇帝バウライによって完成多額の税金を投入したケースはドイツバイエルンのルードビッヒの建てたノイシュバンシュタイン城に似ていると言われています。 初期の皇帝の廟以後、後半正式に廟を建設したのはカイデイン帝だけです。
玄関前には109段のゆるい階段があり中国西安の兵馬俑風の石造が並んでおり正面には王様の功績をたたえる碑がたっています。政権はフランス寄りですが必ずしも中国を無視できる状態ではなかったように思われます。この時期は建築技術が発達しており入口の壁は大理石に似たコンクリートで近代的な材質を使っています。 グエン王朝13人の帝のうち廟が存在するのは7人のみです。1ザロン帝 2ミンマン亭 3テイエウチ帝 4トウドウック帝 5ズクドウック帝 9ドンカイン帝 12代カイデイン帝
2代ミンマン帝廟 (フエ市内からバスで40分) 12代カイデイン帝廟との距離はバスで10分
2代ミンマン帝(明命帝)は初代ザーロン帝のフランス一辺倒な政策に反発し独自の強い政策を打ち出した13代の王のなかでも最も活躍しベトナム人に慕われていた王。王宮の午門を建設したり顕臨閣9つの鼎を作ったのもミンマン帝の功績。正面入り口は閉ざされ広場には中国の兵馬俑がお墓を守っている。他の帝廟と比較して最も中国的な帝廟でお墓は地下に埋められ周囲は池、285mの規模の塀で囲まれご遺体の移送は地下から行われた。年1回ミンマン帝の命日の際にお墓の門を開けることになっている。玉座のある崇恩殿は撮影禁止。ミンマン帝廟はわかりやすいが奥までの距離があるので時間配分に注意が必要です。
4代トウドウック帝廟 カイデイン廟からバスで15分
トゥドゥック帝は幼年の頃天然痘に罹っており、体が弱く子供はいなく養子も天然痘にかかる。帝はフランスの傀儡政治よりは文芸のほうに関心があったといわれ生前から自分の墓の造営を指示していた。まだ元気な頃に完成したため、詩文を作ったりしていたという。正面入り口から入ると池には蓮の花が咲き舟を乗り付ける場所もあり往時は舟遊びを楽しまれていた。グエン朝の最盛期はトゥドック帝までの四代で、その後は衰退。そのため皇帝廟も縮小傾向になり、唯一カイディン帝のみが規模や派手さの面で先代皇帝に匹敵しえたといえる。4代目のトウドウック帝は13人のグエン王朝行程のうち最も在位年が長くその後は在位が短く衰退の道を歩む。ここの廟には劇場がある。2015年9月現在。この帝廟は大規模修復中で池の水もはっていない。
フェンチャン寺
フエ市内から南西7km離れた山奥にあるお寺で昔チャンパ王国に敗れた(1306年)小国ベトナムがフェンチャン王妃を犠牲にチャンパに差出し見返りに現在のグアンチー省、フエ省を割譲されたというお話のあるお寺。参拝者が絶えず毎年旧正月明けに各種イベントが行われます。建築としては新しいが広大な山奥の敷地に造られた寺院は圧巻です。駐車場は下の方にあり入口まではしばらく坂道を歩きます。
フェンチャン寺を巡る市内観光 Duy Tan City Tour 毎日出発 12 Hung Vuong St.,Hue
Tel 054 3839888 Mail duytantravel@vnn.vn
フェンチャン寺を回る市内観光は今までなく個人で訪れる以外に方法がなかった。この度、Duytan Travelがフェンチャン寺を含めた市内観光を4月2日より催行する。王宮に加え郊外の3帝廟を見学するのはちょっと退屈という方にお勧めです。
午前:カイデイン帝廟、フェンチャン寺、トウドウイック帝廟、民芸村 午後:昼食後、王宮、テイエンムー寺、ボートに乗って市内へ