フランス軍の司令部はデイエンビエンフー市内に点在。
インドシナ戦争での劣勢に悩むフランスは、ベトナム軍とラオスの革命勢力との連携を遮断するとともに、ベトナム人民軍主力をおびき出して殲滅する事を目的として、1953年11月、タイ族などの少数民族が居住するラオス国境に近いベトナム西北部の盆地ディエンビエンフーに、要塞の建設を開始し、1954年3月には、40門以上の大砲、2ヶ所の飛行場、兵力1万6200名から成る大要塞を完成させる。この地は、南北に細長い盆地であり、最北端のガブリエル陣地と最南端イザベル陣地とでは、10キロも隔たっていたが、東西は狭く6キロ程度で、要塞はそれぞれ女性の名が冠せられたいくつもの陣地から成り立っていた。インドシナ半島の共産化を恐れるアメリカは軍事支援を側面から支えた。
デイエンビエンフーをT Giao方面へ北上。舗装された山道を20分程ドライブしMuong Phang村行の標識から山道に入る。途中、タイ族の女性が民族衣裳で行き交う姿、緑の棚田、高床式の家並みを通過。市内から1時間程してベトナミン最高司令部に到達する。フランス司令部が市内の目立つ高台にあるのに反してこのベトミンの司令部は森の中にあり施設も点在し目立たない所にある。
所要時間往復2時間(現地1時間)合計3時間~3時間半
(市内にはツアーがないためタクシーをチャーターすることが一般的。半日観光で80万ドン(終日120万ドン)
デイエンビエンフーの英雄グエンザップ将軍は人民解放軍の最高司令官、国防相を務めた戦略家。1911年中部クアンビン省で生まれ一貫して軍を指揮してきた。独立の精神面での指導者はホー・チー・ミン、実践での指導者はグエンザップ将軍。中国軍の作戦に反対し追い出したこともあった。妻はフランス軍に捕えられ獄死。2010年8月25日は100歳の誕生日を迎えハノイ市民は祝った。2013年10月102歳で逝く。
フランス機はベトミン軍の対空砲火の前に墜落し物資の補給ができなくなるとベトミン軍は山頂から盆地の中心に向けて塹壕やトンネルを掘り始めた。