近代ラオスの歴史
1353年ラーオ族ラオ人の国を建設 ファーグム王がラーンサーン王国建設。
ラーンサーン(百万頭の象)象が戦争に駆り出される。(ルアンパバーン)
1560年ビルマ侵攻を恐れ首都をルアンパバーンからビエンチャンへ遷都
1707~13年ラーンサーン王国3国に分裂 ベトナム、シャムに朝貢
1808年、1828年ビエンチャン王国がシャムに抗戦、敗退
19世紀半ばフランスが侵入フランス支配がスタート
1885年フランスがウンカム王国を少数民族武装勢力から救う
1904年ルアンパバーン王位復活し保護国としビエンチャン、チャンパーサック直轄地
道路建設(7号線、9号線、13号線)少数民族が強制労働。
フランス人の代わりにベトナム人が税金をとりたてる。
1914年北部サムヌアで少数民族蜂起
1918年少数民族モン族が蜂起〔納税拒否)
1939年タイが失地回復のためラオス侵入、フランスがルアンパバーンを保護国とする。
1945年日本軍侵入ルアンパバーン国王シーサワンウオンに独立宣言を提案(日本敗戦)
南部を統一してラオス独立宣言(ラーオ・イサラ(自由ラオス)ラオス臨時政府樹立
王国政府(フランスの後押し)と自由ラオス臨時政府の戦いジュネーブ協定で休戦
1955年連合政府成立(選挙)パテトラオ逮捕で再び分裂
パテトラオ、北ベトナムと連携しアメリカと対立
1960年ブーマ内閣パテトラオと連合 アメリカの介入で内戦は続く
ベトナム戦争時B52でラオスを猛爆、輸送ルートを破壊する。
1975年パテトラオがラオス全土を掌握、国王退位(ラオス人民共和国誕生)無血
社会主義建設を目指したが失敗(農業、工業)アメリカ援助停止
モン族の独立意欲(北部地区)アメリカに亡命
1986年開放経済(チンタナカン・マイ)国有化を廃止、隣国と国交復活
ダム建設による功罪(ラオス電力過剰、少数民族の村を破壊、自然環境破壊)
サヴァナケットからラオス内部へ(フエからサヴァナケットまではツアーバス、別紙参照)
1日目
21:00サヴァナケットをVIPバスにて出発首都ビエンチャン南バスターミナル
所要時間8~9時間ビエンチャン市内まで40分 車中泊
*夜行寝台バス 180度フラットベッドで2人掛け(後部トイレ付)
2日目
早朝5時半~6時ビエンチャン南バスターミナル到着
終日:ビエンチャン市内観光
タートルアン(ラオス仏教の最高の寺院)バトウーサイ(凱旋門)ワット・シーサケット(街最古の寺院)
ホーパケオ Ho Pha Kaew(エメラルド仏を安置)ワット・シェンクアン(ブッダパーク)市場(タラート)
ビエンチャン泊
3日目
早朝:ビエンチャン市内観光
お昼:ラオ航空(プロペラ機)にて世界遺産の街ルアンパバーンへ
(ビエンチャンからバスにてルアンパバーンの道のりは4時間でバンビエン、さらに山道を8時間でルアンパバーンへ)
ルアンパバーン泊
4日目
ルアンパバーン世界遺産観光(狭い街なので徒歩観光) ルアンパバーン泊
ラオスの前進ランサーン王国の首都。1995年世界遺産に指定
国立博物館、プーシー山、ワット・シェントン寺院、朝の托鉢、ナイトマーケット(毎日17:00~22:00)
クアンシーの滝(市内から南30km) ワット・マイ・スワナプーマハム(博物館に隣接)
5日目
バークーウ洞窟観光
ルアンパバーンから25km(船で1時間)洞窟の中には大小4000体の仏像が安置
夕刻ベトナム航空930便(17:05)にてハノイへ